日本人なら誰でも一度は耳にしたことがある南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏とは何でしょうか?
と聞かれて、ちゃんと答えられる人はそう居ないのではないでしょうか?
僕もその一人です(笑)
ということで、南無阿弥陀仏について、「笹本戒浄上人全集 上巻」 を参考に纏めてみました。
参考笹本上人については、こちらをご参考ください。
南無阿弥陀仏の意味とは?唱え方はあるの?
南無阿弥陀仏とは、如来様をお慕い申しお念し申すお言葉です。
如来様はどこにいらっしゃる?
- 在まさざる処はありません。絶対的に尊くあらせられます。
- 親様(如来様)は銘々の真正面にいて下さいます。
如来様はどういうお方?
- 私共の根本の本もとの生みの親様でいらっしゃいます。
- 私共を永遠に幸福にして下さるただ独りのお方。
- ただ独りの救いのお方。
- 成仏させて下さるお方。
- 心霊界の太陽。
南無阿弥陀仏を唱えるとどうなる?
- お慕い申しお念じ申す声は親様の大慈悲の御胸に響き、慈悲のまなじりをお注ぎになり真正面でみそなわせられ、尊い御光をもって私共の心霊をお照し下さいます。
- それ故に如来様のことを心霊界の太陽と申し上げます。
- 尊いお光明をもって我々の心をお育て下さいます。
- 私共には仏性があります。これはお光明を頂かないと成長しません。
- また私共は煩悩を持っています。如来様の御光に照らされると、例えば貪欲というような心も人一人でも余計に幸福にしようという心に変わり、また怒りの心も公憤義憤に変わってまいります。
- かくのごとき人格的の御体をもって私共の煩悩を霊化して、御自身の世嗣として下さいます。
- 心霊界の太陽である如来様の御光が心に頂けましたところを光明獲得といいます。
- 光明獲得後の心の日暮らしを光明生活といいます。
- 光明生活は精神生活であり、その実質内容は永遠の生命と常恒の平和であり、かつだんだん如来化されていく精神生活でもあります。
いかにすれば光明生活が頂けるか?
- 心に如来様をお念じ申しお慕い申し、口に南無阿弥陀仏/\と言い、心にお念じ申しお慕い申す心は如来様の慈悲の御胸に響き、私共の真正面でみそなわしていて下さると信じて、一心に南無阿弥陀仏/\と言うことが、これが念佛であります。
- 如来様は心霊の眼開けなければ見奉ることはできません。けれども事実真正面にいて下さるのであります。
- お念じ申しお慕い申す時が如来様におすがりしている時であります。炭と火と一緒になっている時であります。
- 如来様からは大誓願力(だいせいがんりき)、三昧定力(さんまいじょうりき)、本功徳力(ほんくどりき)という三つの御力を加えてお助け下され、燃え移ってやろうとしていて下さる時であります。
- 私共もぜひとも御力を頂きたい、ぜひともお光明を頂きたいとお念じ申すその時は、是非とも助けたいという御心と一致して、お慈悲の火が頂け煩悩が霊化される時であります。
- 本当に一心になりきったとき御光を頂けます。
- ただし初めは三日月程頂けます。
- 実に自分の浅ましさが痛感され、だんだん一心になり豊かに光明が頂けるようになります。
まとめ
「笹本戒浄上人全集 上巻」より、第一章のほんの一部から纏めただけですが、いかがでしたでしょうか?
仏性が成長し、煩悩が霊化され、光明を獲得した精神生活というのをぜひ体験してみたいものです。
永遠の生命と常恒の平和、どんな体感でしょうね?